第二番 大棚山 真福寺 (曹洞宗) 08.10.30
杉林の上り坂の単調さのためか、突如現れた超モダンな、この土地に不釣合いな家の衝撃のせかいか、「第二番真福寺」の印象が薄い。
今、写真を見てこれを書いているが、何も思い出せない。
「秩父三十三所」は、西国、坂東と合わせ100所にするために、ここ「真福寺」を新たに加えて「秩父三十四所」になった。
どのガイドブックにもそう書いてある。
では、それは、いつ、誰が言い出したことなのだろうか。
不思議なことに、今もってそれは分かっていない。
ただ、結願寺「水潜寺」に残される『秩父三十四番水潜寺観音縁起』の日付が寛永七年(1630)であることから、17世紀前半ではないかと見られている。
折りしも江戸幕府の寺院制度が確立されつつあった。
秩父札所も生き残りに必死だった。
100所巡礼の思想は、秩父から出たに違いない。
自らを34所にすることで、西国、坂東を組み入れて100にする。
この全国的な体制を周知させることで自らの生存を図った、そう推測するがどうだろうか。
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