「第三十二番法性寺」から「第三十三番菊水寺」へは、徒歩で大日峠を越えて小鹿野の町へ出る。
そこからバスで泉田まで移動、バス停から歩いて「菊水寺」まで行くことになる。
「法性寺」を出て、柿ノ久保集落を山に向かって歩く。
豊かそうな農家が点在するが、空き家らしき家もある。
家の敷地に祠がある。
お盆に先祖の霊を迎える「おつか」だろうか。
集落のはずれに「大日峠を経て小判沢地区へ1.9キロ」の道標。
「注意 熊出没」の看板も。
ここで舗装道路とお別れ、大日峠へと歩を進める。
ふわふわと落ち葉を踏みしめて歩く感触は、晩秋の愉悦である。
が、いいことがあれば、悪いことがある。
大嫌いな杉林に入る。
杉が少なくなったらと思うと竹。
手入れをしていない竹林は、杉林よりも無惨だ。
黙々と下を向いて歩いて、やっと大日峠に到着。
峠と言っても、木々に遮られて、眺望はまったくきかない。
大日如来像とお地蔵さんがある。
大日如来像があったから大日峠と呼ばれるようになったのか、大日峠だから大日如来像を据えたのか。
多分、前者だと思うが。
なぜか、大日如来にだけ屋根が付けられていた。
小判沢への下りは、沢下り。
何度も沢川を渡る。
写真のように橋があればいいが、ない場所が多いから、雨の後は大変だろう。
木が生い茂っている感じはないが、太陽の光はほとんど届かず、午前11時だというのに、夕方みたいだ。
沢を下って、小判沢に着く。
道路脇に祠がある。
何だろうと覗いたら「こんせい宮」だった。
金精さま(男根)をご神体とするお宮である。
横瀬の歴史民俗博物館で展示物は見たが、こうして今もお宮として機能しているのを見るのは初めて。
江戸巡礼古道を歩いて回った褒美だろうか。
うれしい。
甲州や信州育ちだとこうした石棒は珍しくないかもしれないが、僕の田舎には一切なかったから70歳にしての初体験である。
明治政府の淫祠邪教政策はこうした伝統的庶民信仰を根こそぎ消滅させてしまった。
淫祠などとよくも決め付けたものだ、と批判っぽくなる。
川の淀みを覆いつくす落ち葉。
一見、広場と見間違うほど。
「渋柿の滅法生りし愚かさよ」 松本たかし
バス停「小鹿野警察署前」に12時7分に到着。
12時5分、小鹿野町役場を出たバスに丁度間に合った。
泉田で降りる。
バス停後ろの「元六」という蕎麦屋で天ぷらそば1050円を食す。
蕎麦屋から東へ。
田んぼの中を5分ほど歩くと「菊水寺」と→の看板。
そこを右折する。
右手に見えてくるがけ崩れのようなところが「ようばけ」。
夕日にあたるはけ(崖)ということで「ようばけ」。
約1万5000万年前の第3紀層で、鮫やカニ、貝などの化石が出土するという。
麓に「おがの化石館」があるが、素通りしてしまった。
赤平川の奈倉橋を渡ると左に「妙見宮」。
この神社には仁王門があり、仁王がいる。
神仏混合時代の名残を残すもので、神社に仁王とは珍しい。
「三十一番観音院」への道でも出会ったが、ここにも巨大かぼちゃ。
家畜の飼料にでもするんだろうか。
すぐそばの豆畑の大豆は、収穫しないまま放置されているので、鞘から豆が地面に弾け落ちている。
もったいない。
何があったのだろうか。
信じられない光景である。
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