19・龍石寺ー旧秩父橋ー20・岩之上堂 08.10.27


「第十九番龍石寺」を出て、来た道を戻る。
お地蔵さんまで来たら、左に曲がらず直進。
橋が見えてくる。
旧秩父橋だ。
橋の中央に植物の植え込みのボックスが置いてあって、車は通れない。
人っ子一人姿を見ない閑散とした風景だった。
この旧秩父橋は昭和6年に竣工した鉄筋コンクリート橋だが、秩父橋としては二代目に当たる。
初代秩父橋は明治18年、荒川をまたぐ永久橋として建てられた洋式木橋だった。
橋が出来る前は「愛染の渡し」と呼ばれる巡礼専用の渡し舟が運行していた。
船賃は3文(大体今の100円位か)、出水時は8-16文だったという記録がある。

隣の「秩父橋」は、対照的に交通量が多い。
「荒川」は「荒ぶる川」を意味する。
甲武信ヶ岳の源流から東京湾まで169キロ。
流域面積は埼玉県の三分の二を占める。
寄居までが上流、熊谷までを中流とするが、寄居を扇頂にした大扇状地では有史以来8回も川道を変える荒れ川だった。
皆野町下田野の石垣には「安政6年7月25日、大水これまで付き」の水位を示す文字が刻まれているが、川上20メートルの高さにある。
明治43年8月の大洪水は秩父郡下だけでも山崩れ1660箇所と被害甚大だったが、下流の埼玉県、東京下町は一面水に埋まり、泥海と化した。
翌年、政府は荒川放水路建設に着手する。









橋を渡った道路の向こう側に細い坂道がある。
これが、きつい。
最初の難関だ。
あえぎながら上って、平らな道になったなと思ったところがもう「岩之上堂」の真上。
木々の葉の間、下のほうにお堂の屋根が見える。

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