西武秩父駅ー杖立峠ー34・水潜寺 08.11.30










2008年11月30日、「秩父札所巡り」の今日が最終日。
8日目となる。
西武秩父駅前の停留所から「吉田元気村行き」のバスに乗り、9時5分出発。
30分ほどして「馬頭尊前」停留所で下車。
看板に従って、バスとは反対方向の東へと歩き出す。









10分ほど歩くと「水抜」へ。
かつては皆野駅から吉田元気村行きのバスがここを通っていたが、廃線となった。
ここを左折。
しばらくゆるやかな上りの舗装道路を進む。
民家も見えず、静かな道である。
家々が見え始めた所が頼母沢集落。
大小の岩がごろごろむき出しになっていて、坂の傾斜も急にきつくなる。









家と後背の山との間が農地になっている。
写真を拡大してやっと見えるのだが、男がひとりくわを振るっている。
静かな山間の里に甲高い犬の声。
まるで飛び掛らんばかりの勢いで吠えている。
人が通ることがほとんどないから、この時とばかりに吠えるようだった。









集落を見下ろす一番上の家は廃屋だった。
道を挟んで立つ石仏には、草がまといつき荒涼とした風景である。









廃屋の先、300メートルほどに「札所三十四番道」の石塔。
そこを右折すると杖立峠への山道となる。
一人の男が早足で駆け抜けて言った。
疾風のように走り去った人とは、満願の湯で会った。
聞いたらたった4日間で全コースを歩き回ったのだという。
今日は33番をお参りして、34番へ向かったそうだから、3日間で1番から32番まで歩きとおしたことになる。
とても人間業とは思えない。









11月も今日で終り。
山は秋というよりも冬の様相になりつつある。
こうした落ち葉のある山道ばかりならいいが、すぐに杉林になってしまうのはこの山も例外ではない。
御幣が下がっている。
何か結界を示すのだろうか。
明治時代の日本人ならば、常識であったこうした宗教的行為の意味を現代に生きる我々は知ることが少ない。
そうした社会を憂う前に自分の無知を嘲うべきは当然であるが。


杖立峠に到着。
ここも見晴らしが全くきかない。
この峠越えが順礼初日だったらアゴを出したことだろうが、最終日だから、慣れたもの、そんなに苦にせず登ることが出来た。
振り返ってみると、きつい思いをしたのは「第二十三番音楽寺から第二十四番法泉寺への沢越え」、「バス停から第三十一番観音院までの往復と石段」、「第三十二番法性寺奥の院への上り道」と「法性寺から小鹿野への大日峠越え」などか。本当は「第三十番法雲寺から第三十一番観音院まで18キロの歩き」が最も大変なんだろうが、バスに乗ったので味あわないで終った。
今日で結願するが、一番苦しい部分をパスしたことで画竜点睛を欠く思いがしないでもない。
ここ札立峠の由来については、「昔、大旱魃の時、旅の僧の『雨を祈らば観音を信ぜよ』との教えにより、『樹甘露法雨』の札を立てたから」だと環境庁の看板に書いてある。

峠からの下りは、大日峠と同じように石がごろごろ転がる沢下り。
雨が降れば川となるところを足を挫かないように用心しながら下りてゆく。
まったく陽が差さないから暗い。
あまり気持ちいいコースではない。









新しい石仏がある。近寄ってみたら広げた袂に「おつかれさま 水潜寺はすぐそこ」と書かれている。
確かに木々を通してお寺の屋根が見えている。
西国から板東を回り、秩父を巡礼し終えて、100カ所目の結願寺の本堂を木の間隠れに目にした巡礼者たちの感慨はいかばかりであったことか。
この光景は、終生、脳裏に焼き付いていたはずである。

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