第二十番 法王山 岩之上堂 (臨済宗) 08.10.27


「第二十番岩之上堂」の宝形の屋根を見下ろす。
屋根の向こうの林の下は荒川なのだが、木々に遮られて川は見えない。
荒川の崖の上にあるのだという感じはとてもしない。
我々は屋根の左方向から境内に下りて、参拝し、石段を上がってこの場所にたどりついたが、車で来た人たちは、ここから石段を降りて行く。


お堂の建物は年代物だがしっかりとして風格がある。
秩父札所の建物では一番の古さを誇っている。
『円通伝』という書物には「応仁(1467-69)の頃、仏閣に香花を供する法師も住せず・・この御堂も悉破却せられ、本尊のみ岩の上に建置ければ・・・」とあり、この観音様を祀るために建てられた堂を人々は「岩之上堂」と呼び親しんだ。
しかし、武田勢の秩父侵入による戦乱で観音堂は灰燼に帰した。
以後約1世紀の間、ニ間四面の小堂だったが、延宝6年(1676)から26年の歳月をかけて元禄16年(1703)、現在の観音堂が完成する。















特記すべきはその資金の徴収方法。
「岩之上堂」は秩父札所で唯一の個人所有のお堂だが、その所有者内田家は江戸ではじめての出開帳を行った。
出開帳とは秘仏として平素は参拝を許さない本尊仏像を持ち出して開帳することで、それにより多額の協賛金を得ることが出来た。
内田家は江戸を始め、武蔵、相模、駿河、上総、下総、上野の諸国に出開帳し、資金を調達すること26年、念願の観音堂を再建することになる。

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