15・少林寺ー秩父神社ー16・西光寺 08.10.20










秩父神社の参道はカラフルで落ち着きがない。
参道の最も神社の鳥居に近い左側に、注連縄を張った門がある。
中の建物は普通の民家のようではあるが、門構えが只者ではない。
注連縄があるから神社と関係があるものと思ったが、確かめたら案の定そうだった。
秩父神社の宮司家なのである。

「第十五番少林寺」の山号は「母巣(ははそ)山」だが、これは廃寺となった「蔵福寺」の山号であった。「蔵福寺」は秩父神社の境内にあった。
「母巣(ははそ)」は秩父神社の森、「柞(ははそ)の森」から来ている。
秩父神社は、初代国造知々夫彦命が祖神・八意思兼命を祀ったことに始まる。
律令時代、武蔵国府が府中に置かれ、大国魂神社が「六所宮」と呼ばれ、有力な神々を勧請した時「四の宮」が秩父神だったと言われている。








平将門が反乱を起こして平定されたあと、坂東八平氏のうちの桓武平氏流秩父氏が起こり、秩父氏は「妙見大菩薩」という外来神をこの地に持ち込んだ。
「妙見大菩薩」は、秩父神社が火災で焼失し、鎌倉末期に再建された時、新社殿に合祀され、社の名前も「秩父妙見宮」に変更された。
これがいかに画期的であったかは、ご神体山(武甲山)の名前が「妙見山」に変わり、神社の地名が中村郷から大宮郷に一気に変わったことからも伺える。
もともと武士階級の守護神として信奉された「妙見山」だったが、近世に入ると穀霊神として、さらに養蚕神として、主産業の推移を反映した形で信仰を集めることになる。
元の秩父神社に戻ったのは、明治の神仏分離令の発布を契機としてであった。

秩父神社を出たら右折。
ちょっとタイムスリップした感のある家並みを西の方角へ歩く。

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