お花畑駅ー30・法雲寺 08.11.21










2008年11月21日、今日から泊まりがけで30番から33番を回る。
西武秩父駅から秩父鉄道の「お花畑駅」へ急ぐ。
目の前を貨車が通り過ぎてゆく。
積載物は砕石砂のようだ。
武甲山からのものだが、どこへ運ばれて何に利用されるのだろうか。
9時10分の三峰口行きは4両編成に乗客が4人。
5つ目の「白久」で下車。









ホームからは秋の光に輝く秩父の山里が見える。
荒川が横切っているのだが、水面は見えない。
駅の改札に「熊出没」の注意書き。
同伴者は「こわい」なんてしおらしいことを言うが、僕は熊大歓迎。
宝くじに当たるようなもの。
ラッキーと思わなければ。








道標に従って歩けばいいから迷うことはない。
11月下旬。
山間部のこのあたりは、夜は零度を下回るのだろう。
陽が差さない草地は霜で真っ白。
陽だまりとの気温差が激しい。









やがて道路の分岐点に。
右折して上の道は「第三十番法雲寺」へ。
下へ下がると旅館「谷津川館」へ行く。
逆光で見にくいが、右が旅館の建物。
江戸時代、巡礼者はみんな旅籠に泊まったわけではない。民家に泊めてもらったり、野宿する者も少なくなかった。
そうした中、三十番門前の「両側には食店旅籠屋打ちまじりて旅店が七、八軒あり」(『遊暦雑記』文政12年1823)賑わっていたらしい。
「谷津川館」もその門前旅籠のひとつだったわけである。
文政6年の『秩父順拝図会』では「三十番入り口の少し手前荒川岸に菓子を売る茶屋がありここで休む。三十番入り口の左右に民家の泊まり屋があり、そこに荷物を預けて参詣した。この日は白久に泊まったが、この家ではその晩風呂をたてないので、向かいの家の風呂に入れてもらった」ことが書かれている。
江戸時代の巡礼者の数については、「順礼往来人数報告」(松本家御用日記)がある。
それによれば、寛延3年(1750)の1月から3月までの3ヶ月間に札所三十番のある白久村からの報告は52981人。
寛延3年は午年の総開帳の年だから例年よりは多いだろうが、それにしても驚くほどの人数である。
とても全員が宿泊できる施設があったとは思えない。

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